怒りをコントロールし飛躍したフェデラー選手のエピソード

 

今日は『 怒りをコントロールして飛躍したフェデラー選手のエピソード 』です。

 

1980年代、子供時代のフェデラーは、コート上で自分の感情をコントロールできませんでした。特にミス・ショットを打った後には、怒りが爆発し、フェンスにラケットを投げつけずに1日が終わることはめったにありませんでした。そんな制御不能な自分のことを、 ❝ホットヘッド❞ と表現しています。

元ATP広報部長のデビッド・ロウ氏も、「彼はメンタル的に崩れると並以下のパフォーマンスを見せてしまう。感情的になって、ラケットを投げつけることもよくあった。彼は赤ちゃんのようだった。正直、彼はコート上の駄々っ子だった。ただただ未熟で、成長までには時間がかかった。」と語っています。

 

そんなフェデラー少年は、1988年のウィンブルドンで、ボリス・ベッカーがステファン・エドバーグに敗北して号泣している姿を見て、「テニスは人生であり、勝利することこそが、生計を立て、テニスを続けることなんだ。」と悟ったといいいます。そしてそれからテニスに真剣に取り組むようになります。

しかし、テニスに対する情熱が高まるにつれ、しばしばフェデラー少年はショットを失敗すると怒り、自分のラケットをフェンスに向かって投げるようになっていきました。両親は息子にとってテニスが「家族における趣味のレベル」から「人生を懸ける本気のレベル」にまで昇華したことに気付き、オーストラリア人コーチのピーター・カーター氏に、フェデラー少年の指導を依頼しました。その後、カーター氏に18歳まで指導を受けることになります。(特に 10歳から14歳までは、フェデラーは自分の両親よりもカーター氏と多くの時間を過ごした。)

そして、ピーター・カーターコーチはフェデラー少年に不足していた「心理学」「礼儀」「戦略」の部分を教え始めました。

そして、それらがポジティブな効果を息子にもたらしていることに気付いた両親の計らいで、フェデラー少年はカーターコーチの指導の元、より長い時間をテニスに打ち込むことができるようになりました。

カーターコーチについて「私のテニス人生において最も大きなインパクトを与えた人」とフェデラーは言っています。競技面だけではなく、同時に、人間としての成長にも、大きな影響を与えたコーチでした。

ピーター・カーターという人物と出会い、試合におけるメンタルの重要性について議論することで、フェデラーは、「怒りの爆発によって、どれほど多くのエネルギーを無駄にしてきたか」に気付かされます。

1997年、スウェーデン出身の元ATPプレーヤーであるピーター・ラングレンがスタッフに加わり、フェデラーをサポートするようになります。彼は、カーターコーチのメッセージをフェデラーに伝えることを手伝いました。

以来、フェデラーは試合中に怒りを爆発させることがほとんどなくなるなど、メンタル面で成長を見せ、2002年には、初めて世界ランクトップ10入りを果たしました。

 

とはいうものの、長い試合では、彼はまだまだ脆弱であり、精神的タフネスに欠けていました。特に4セットや5セットで負けた後は、ロッカールームに戻って号泣することも度々でした。

また、元世界ランキング9位でスイスの先輩であるマルク・ロセ氏は、若い頃のフェデラーについて「彼はスイスの新星だったけれど、とても怠惰だったし、先輩への気遣いも感じられなかった。」と語っており、まだまだ「スポーツ界屈指のジェントルマン」として称賛を集める、現在の姿とはかけ離れていました。

 

2002年8月、フェデラーはトロントの大会で1回戦で敗れましたが、ダブルスにも出場していたため、トロントに残りました。しかしフェデラーは試合の準備もせずに他のプレイヤーと飲みに出かけ、ラングレンのからの度々の電話を無視しました。

夜も更けた頃、フェデラーはようやくラングレンの電話にでました。そしてなんと、その電話は、「ピーター・カーターコーチが、新婚旅行先の南アフリカのサファリで道を外れ渓谷に落ち、亡くなった。」という連絡でした。なんと、37歳の若さで他界してしまったのです。

フェデラーはそれを聞くや、打ちひしがれ、通りに出て泣き叫んだといいます。そしてホテルまで1マイル以上全速力で走ったそうです。その後もフェデラーは悲しみに暮れました。21歳の誕生日を迎える、1週間前の出来事でした。

カーターコーチの死により、フェデラーは自分の人生、テニス、人間関係についてしっかり考えるようになりました。若いプロとして、カーターコーチの「良い選手であれ。良い人であれ。」という教訓を心に刻み、それから更に人間的に成長していきます。

 

ロウ氏はフェデラーが「少年」から「大人」になった過程について、次のように証言しています。

「フェデラーは打ちひしがれた。これがフェデラーを急速に成長させた。なぜなら、それまで彼は死について考えることがなかった。彼は一度立ち止まった。悲嘆に対応するために、長い時間を要した。共に旅をし、毎日顔をあわせて自分が熟知する大切な人間だったから。フェデラーにとってはとてつもなく大きな痛手になった。しかし、その悲しみを乗り越えることでフェデラーは少年から大人に成長した。」

カーター氏の事故から1年後、フェデラーはウィンブルドンを制し、グランドスラム初制覇を成し遂げました。

その後も「常にメンタルトレーニングしている」と話しているフェデラー。カーターコーチの教えを胸に、38歳になった現在も、世界のトップに君臨し続けています。

 

テニス界のレジェンド・歴代最高の選手との呼び声高いフェデラーですが、今でも、全豪オープンの際には、ピーター・カーターコーチの両親のメルボルンまでのチケット、ホテルの宿泊費用を負担し、試合後のパーティーにも招待し続けているそうです。